船宿内田乗船場所【浜園橋】を出航し、隅田川に架かる個性豊かな12の橋(中央大橋・永代橋・隅田川大橋・新大橋・清洲橋・両国橋・蔵前橋・厩橋・駒形橋・吾妻橋・言問橋・桜橋)の魅力を堪能しと、吾妻橋から桜橋にかけての約1kmにわたり、ソメイヨシノや枝垂れ桜が約千本植えられている都内屈指のお花見の名所を楽しむ遊覧コースです。(時間帯では夜桜ライトアップも楽しめます)
周遊・スカイツリー(春のお花見)コース 船上からの眺めお楽しみください♪
写真は、船宿内田の屋形船から撮影したもの、また隅田川テラスなどを徒歩で、巡って撮影したものです。ごゆっくりご覧ください♪
【浜園橋】
【豊洲橋】
豊洲1丁目と越中島3丁目を結ぶ。上下三車線、橋長120.8メートル、幅員36メートル、幅5.1mの歩道が両側に付く。
2013年全線開通
【豊洲水門】
豊洲と越中島の間の豊洲運河にある。
複葉ローラーゲート 有効幅17.4m
1962年(昭和37年)に竣工『安全とみんなの笑顔を守ります』と上部書かれてる。
高潮や津波から周辺エリアを守る役目を果たす。
【明治丸・東京海洋大学】
2003年(平成15年)10月に共に120年以上の歴史を持つ東京商船大学と東京水産大学が統合し開学。
【明治丸】灯台巡視船として、日本政府がイギリスに発。1874年(明治7年)11月24日竣工
*天皇の乗るお召し船(1876年に、明治天皇の北海道・東北地方への巡幸に供された。➡帰港された7月20日が現在の海の日になっている。)
*1897年(明治30年)9月に商船学校(現・東京海洋大学)に貸与され、練習船として操帆訓練などに用いられた。
*1923年(大正12年)の関東大震災や1945年(昭和20年)の東京大空襲の際には数千人の罹災者を収容している。
*1975年頃までは結索実習などに船内が使われた。
*1987年(昭和62年)5月31日には船として初めて国の重要文化財に指定されている。
*2009年度から修復事業等の費用に充てるため、「明治丸海事ミュージアム事業募金」を設置し募金を呼びかけている
*2013年(平成25年)12月より、本学と文化庁により大規模修復工事が行われ2015年(平成27年)3月に竣工。
【相生橋】
中央区佃と江東区越中島を結ぶ
1998年(平成10年)8月現在の橋に竣工
「相生」という名称は、この橋がはじめ長短二橋で構成されていたことから「相生の松」に由来して付けられた。
橋長149,1m 幅22m 形式 トラス桁橋
【永代橋】
*創架は、1698年(元禄11年)江戸幕府五代将軍綱吉、生誕50年記念で造られたとのこと。
「永代橋」という名称は、架橋された江戸対岸に元あった永代島・永代寺(現在の江東区富岡)に因む。
江戸幕府が末永く代々続くようにという後から附けられた慶賀名という俗説もある。
*1926年(大正15年)に、関東大震災復興事業により架橋された現在の橋は、
「帝都東京の門」と言われドイツ・ライン川に架かっていたかっていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルにし、豪壮雄大な現存最古のタイドアーチ橋かつ日本で最初に径間長100mを超えた橋でもある。
*2007年(平成19年)勝鬨橋・清洲橋と共に国の重要文化財に指定された。
【隅田川大橋】
- 橋長 385,3m幅30,0m 西岸は中央区日本橋箱崎町、東岸は江東区佐賀1丁目を結ぶ橋
- 完成 1979年(昭和54年)10月
隅田川大橋は隅田川唯一の二層式の橋で、上層が首都高速9号、下層が都道葛西線
【清洲橋】
- 橋長 186.3m 幅員22.0m
- 竣工 昭和3年3月
関東大震災の震災復興事業として、永代橋と共に計画された橋。繊細で優美な下向きの懸垂曲線を描く吊橋。
「帝都東京の門」と呼称された永代橋と対になるような設計で、「震災復興の華」とも呼ばれた優美なデザインである。当時世界最美の橋と呼ばれたドイツのケルン市にあったヒンデンブルク橋の大吊り橋をモデルにしている。
2007年(平成19年)6月18日に、都道府県の道路橋として初めて勝鬨橋・永代橋と共に国の重要文化財(建造物)に指定された。
【芭蕉庵史跡展望庭園】
文学史上偉大な業績を残した松尾芭蕉にゆかりの地(江東区常磐)に昭和56年4月に芭蕉記念館が建てられた。
俳句文学関係の各資料が展示されている。隅田川と小名木川を臨む事のできる別館屋上に芭蕉翁像があり、閉園後像が回転しライトアップされる。
新大橋が完成していく様子を、当時東岸の深川に芭蕉庵を構えていた松尾芭蕉が句に詠んでいる。
「初雪やかけかかりたる橋の上」「ありがたやいただいて踏むはしの霜」
新大橋
- 橋長 170m 幅 24m
- 竣工1977年( 昭和52年)
- 型式 ‥‥ 2径間連続鋼斜張橋
- 西岸は中央区日本橋浜町、東岸は江東区新大橋を結ぶ。
【新大橋あれこれ】
- 最初に新大橋が架橋されたのは、1694年(元禄6年)。先に架かった両国橋が『大橋』とよばれ、続く橋として「新大橋」と名づけられた 。
- 1885年(明治18年)に新しい西洋式の木橋として架け替えられ1920年(大正9年)ピントラス式の鉄橋として現在の位置に生まれ変わった。 竣工後間もなく市電が開通し、アールヌーボー風の高欄に白い花崗岩の親柱など、特色あるデザインが見られた。
- 大正12年(1923)の関東大震災で、床版などに木が使われていた隅田川の他の鉄橋が焼失する中で、床版がコンクリートだった新大橋は焼失せずに避難の道として多数の人命を救ったため、「お助け橋」と呼ばれた。
- 明治期に架けられた新大橋は、老朽化による架け替えのため、1974年(昭和49年)6月に「渡りおさめ」が行われ撤去された。
- 1977年(昭和52年)に現在の橋に架け替えられた。旧橋は貴重な建築物として、愛知県犬山市の博物館明治村に全体の8分の1、約25mほどが部分的に移築されて保存されている。
- 【周辺スポット】芭蕉記念館・御船蔵跡碑
- 直線を生かした幾何学模様が今日的で大変美しく、清洲橋とともに「新東京百景」の一つに選定されている。
【両国橋】
・中央区東日本橋と墨田区両国を結ぶ
・竣工1932年(昭和7年)11月 橋長164.5m 幅24m 3径間ゲルバー式鋼鈑桁橋
【両国橋あれこれ】
創架1660年頃当初は『大橋』と呼ばれた。西側『武蔵国』東側『下総国』と,またがっていたので俗に『両国橋』と呼ばれた。
1693年(元禄6年)新大橋が架橋されたので『両国橋』が正式名称になった。
1904年(明治37年)11月、曲弦トラス3連桁橋の鉄橋に竣工。この橋は関東大震災では大きな損傷も無く生き残ったが、他の隅田川橋梁群の復旧工事に合わせて、震災後に現在の橋に架け替えられた。
・親柱には大きな球状の石飾りがある。
隅田川橋梁(総武本線)
総武線両国駅と浅草駅の間
1937年(昭和7年)竣工
橋長172m
蔵前橋
台東区蔵前と墨田区横網を結ぶ
・関東大震災の復興計画により架けられた。
・1927年(昭和2年)11月竣工
・橋長164.5m 幅24m
・形式 3径間連続上路式ソリッドリブ2ヒンジアーチ(海岸道路があるので四連アーチとなっている。)
【蔵前橋あれこれ】
・江戸時代はじめ、幕府直轄の米蔵があったことから、橋全体は稲の籾殻を連想させる黄色に塗装されている。
昭和29年9月~昭和59年12月まで東詰に蔵前国技館が存在したため、高欄には力士など、直接的に地域性を表現するレリーフが施されている。
厩橋(うまやばし)
- 竣工1920年(昭和4年)9月
- 形式3径間下路タイドアーチ橋
- 元禄時代に『御厩おんまいの渡し』があった。幕府の米蔵があり運搬のための厩があったことが由来
- 厩橋は都選定歴史的建造物に選定されており、その概要は『優美な3つの曲線が連なるアーチとなっている』
【駒形橋】
- 台東区雷門と墨田区東駒形を結ぶ
- 橋長149.6m 幅22.0m
- 竣工1927年(昭和2年)6月
- 駒形の渡しがあった
- 西詰『駒形堂』・・・馬頭観音を祀る堂に因む
橋の中央部が上側にアーチ、左右は下側にアーチのある。シルエットバランスが良好で、バルコニーや橋灯・高欄などのデザインはヴィクトリア調であるとの評価も受けている。駒形橋は都選定歴史的建造物に選定
吾妻橋
橋長150m 幅22m
形式鋼橋ヒンジアーチ
・創架は1774年(安永3年) 1887年(明治20年)隅田川初の鉄橋として架設された。
・1931年(昭和6年)関東大震災の復興で架けかえられた。
*アーチが道路下に在るため橋上の景観が優れている
言問橋
台東区花川戸から墨田区向島を結ぶ
橋長236.6m 幅22m
形式3径間ゲルバー鉄桁橋
都選定歴史建造物
・両岸の隅田公園からの眺望に調和し、橋からも景色が見やすい橋 直線的で力強いデザイン
【桜橋】
創架1985年(昭和60年)
隅田公園の施設の一つとして台東区と墨田区の共同事業で架けられた歩行者専用橋。
橋長169.45m 幅20.0m 形式 三径連続X形四線鋼箱桁橋
X型の曲線の美しい橋は周辺の隅田公園等との景観と調和したデザインになっている。
隅田公園には(墨田区側343本台東区側600本)桜があり、日本のさくら名所100選に選ばれている。
東京スカイツリー
2012年2月29日に完成し、同年5月に電波塔・観光施設として開業した。
350Mと450Mの2ヶ所に展望台を備えた世界一高い電波塔。
商業施設やオフィスビルの他に、プラネタリウムや水族館もあり「東京スカイツリータウン」と呼ばれている。
・高さ 634m 東京周辺の旧国名【武蔵国】むさしのくにに語呂合わせに考慮されたとも!
【東京スカイツリーあれこれ】
- 「粋」は隅田川の水をモチーフとした淡いブルーの光でタワーを貫く心柱を照らし出したライティング。
- 「雅」は江戸紫をテーマカラーとし、金箔のようなきらめきのある光をバランスよく散りばめたライティング
- 「幟」は橘色を基調とし、縦のラインで3つの面に区切られた垂直性を強調したライティング。(2017年5月に追加)
- この他スペシャルライトアップも点灯されている(防災の日・七夕・ピンクリボン・桜特別などなど、季節やイベントなどにちなみ実施されている)
*特記 東京五輪開幕まであと1年となった7月23日夜、東京スカイツリー(東京都墨田区)で特別ライティングが実施された。新型コロナウイルス感染症対策に従事する医療関係者に敬意を込めて青のライティングが点灯され、「TOGETHER WE CAN ALL WIN!」(みんなで打ち勝とう)の文字を表示。午後8時からは五輪の5色のシンボルカラーがともされ、1年延期になった大会を盛り上げる「TOKYO2020+1(プラスワン)」のメッセージに変わった。
- 浅草~とうきょうスカイツリー間の隅田川に架かる隅田川橋梁も、普段は東京スカイツリー®のライトアップ「雅」「粋」「幟」と同系色でライトアップしていますが、下町でのイベントや季節・風物に合わせた『特別色』でのライティングを一部の日で実施します。美しい光が、夜の下町と隅田川の水辺を彩り豊かに照らします。
【番外編】隅田川テラス
隅田川テラスとは、堤防を補強する護岸基礎を親水施設として開放した場所。
現在、隅田川テラスは隅田川の両岸約47㎞の内、約28㎞の区間で整備され都心の貴重な水辺空間として、水辺のウォーキングやフォトスポットなど多くの方々に利用されている。
蔵前橋から両国橋にかけては、歩道の護岸にテラスギャラリーがあり、かつての錦絵を拡大展示されている。隅田川テラスが桜咲き誇る頃、早慶レガッタの練習や試合風景も見ることもできる。
- 早慶レガッタ 明治38年に隅田川向島にて第1回大会が開催されて以来、100年を超える大会です。昭和53年に復活した早慶レガッタは、新大橋上流(浜町公園付近)から桜橋上流まで、約3,750メートルのコースで競います。
番外編【大横川の花見】
隅田川の支流、大横川は、東京メトロ東西線・門前仲町から徒歩三分にあります。桜咲くお花見シーズンは、船宿内田の浜園橋乗船場所にぜひこちらを眺めてからお越し頂くとよろしいかと思います♪期間限定で石島橋の橋上に色々な出店で賑わいます。